大水害から40年(神戸)
神戸・布引ハーブ園は人気の観光スポット。6月から7月にかけてラベンダーが咲き、我々の眼を楽しませてくれる。
また布引の滝や布引貯水池などの神戸背山のハイキングコースとしても親しまれている。
このハイキングコースの途中、市ヶ原に小さなお地蔵様がある。
これは今から40年前、昭和42年7月9日の豪雨による土砂崩れで亡くなった市ヶ原住民を慰霊するために建てられたものだ。
神戸を含む阪神間は昔から水害の多い所。
これは六甲山系が花崗岩(御影石)でできており、風化しやすく、雨が降ると土石流となり下流の河道を塞いだり、堤防を破壊するなどしたためだ。
明治期には神戸中央部を流れる生田川と湊川を付け替えるなどの対策も行われたが、昭和13年・42年に大水害が発生し、多くの命が失われることとなった。
昭和13年7月3日から5日にかけて、台風に刺激された活発な梅雨前線により阪神各所で大雨となり、神戸では総雨量461.8mm、最大時間雨量60.8mmの雨を観測した。このため各所で洪水や土砂災害が発生し、死者行方不明者が695名にのぼる「阪神大水害」となった。
阪神大水害が発生したのをきっかけに、翌年(昭和14年)からは国の直轄工事で砂防工事が進められることになり、以後、しばらくの間は大きな水害は途絶えていた。
ところが昭和42年7月7日から9日にかけて、梅雨前線が熱帯低気圧に刺激され活発化し、再び大雨となった。神戸では総雨量371.2mm、最大時間雨量75.6mmの雨を観測した。大河川は国の砂防工事で被害は少なかったが、中小河川の被害が大きく、死者行方不明者が98名にのぼる災害となった。
布引ゴルフ場造成のため樹木の減った世継山は斜面が大崩落し、直下の市ヶ原集落を約5,200立方メートルの土砂が襲い21名の犠牲者を出す大惨事となった。
昭和42年以後、これらに匹敵する土砂災害は発生していない。
(平成10年・11年に新湊川が氾濫し浸水被害が発生したが、幸いにも犠牲者は無かった)
しかし集中豪雨が100年前よりも30%増加しているとの研究もあることから、再び神戸を豪雨が襲うことも無いとはいえない。
急斜面等の危険地での宅地開発を抑える行政対策や、災害時のための避難準備などが必要だと思う。
(ジャイヴ川畑)





