唐の滅亡は気候変化のため?
7世紀から10世紀にかけて栄えた中国の「唐王朝」、日本にも遣唐使を通じて政制・文化面において大きな影響を与えた国である。
巨大な勢力を誇った唐も、節度使による中央権力の低下(8世紀半ば~)・安史の乱(755年)・黄巣の乱(874年~)などにより没落の一途をたどり、907年に亡びることとなった。
ところが先日、英科学誌ネイチャーのニュースサイトに興味深い説が登場した。
ドイツの地質研究センター、ジェラルド・ハウグ氏によると、中国広西省南西部の『光岩湖』の沈澱物質を分析したところ、冬季の季節風が強く夏季の季節風が弱い時期が、過去1万5千年の間に3回あったことが判った。
これは冬季の乾燥した季節が長く、夏の湿潤な季節が短かった:夏の降水量が少なかったことを意味しているとのこと。
これらの気候変動は、周期的なエルニーニョ現象などの熱帯集束帯(ITCZ:赤道近くの降雨量の多い地域)の位置の大規模な変化が原因であると考えられるそうだ。
この3回のうち前2回は氷河期に発生し、最後の1回は西暦700年頃から900年頃に発生しており、これが偶然にも唐の没落・滅亡の時期と重なるというのだ。
もしかすると各地で起こった反乱の原因のひとつに、夏の雨の少なさ:干ばつがあったのかもしれない。
また唐が滅びるのと同時期、メキシコ東南部に栄えたマヤ文明も衰退している。これは遺跡調査などから食糧不足が原因だと考えられているが、ベネズエラの湖の沈殿物から類似の気候変動があったことが推測され、この気候変動が食料不足の原因になったと考えられるそうだ。
しかしこれらの説とは異なる説も存在する。
新華網の気候学者へのインタビュー記事によれば、1979年までの約500年間を分析すると、厳しい冬であっても夏は雨が多く、乾燥するようなことはなかったそうだ。また唐代の気候も雨の多い時期と乾燥する時期が交互に現れていたとのことだ。
気候が歴史に与える影響については、まだまだ考証が必要なようだ。
(ジャイヴ川畑)





