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2006年12月26日

スキー場雪不足・年末には解消か

大雪だった昨年12月とは打って変わって、雪の少ない今年の12月。各地のスキー場が雪不足に悩んでいる。
 
昨年はあまりの大雪に逆に客足が遠のき、「積雪1mmにつき宿泊料1円割引」という珍しいサービスを展開した新潟県津南町のスキー場、マウンテンパーク津南。同スキー場のホームページによると、26日の積雪は20cm、少雪のため営業していない。同町内にあるアメダス観測点のデータを見ると、26日0時現在の積雪は3cm。昨年の同日、同時刻は261cmだったから、今年の雪がいかに少ないか、よく分かる。
 
これも地球温暖化の影響か。温暖化は直線的に進行するのではなく、振り子のように暖かい方に振れたり、寒い方に振れたりしながら、平均として暖かくなってゆく。温暖化自体も問題だが、この振れ幅が徐々に大きくなっているらしい。多雪や少雪、あるいは低温や高温が起こりやすくなっていることを意味しており、仕事や生活に与える影響は大きい。こちらも大問題である。
 
26、27日の嵐が去った後、日本海側では28日午後から30日にかけてまとまった雪となる見込み。年末寒波の到来である。スキー場にとっては恵みの雪となりそうだ。
 
(小埜佳典)

2006年12月21日

東京都心・松の雪吊りのわけ

4th_雪吊り.jpg
 
東京都心、オフィス街のオアシス日比谷公園の一角、心字池に今年も松の雪吊り(松吊り)風景が見られるようになった。松の枝を冬の積雪から守るための松吊り、雪国金沢の兼六園や会津若松の鶴ヶ城が有名だが、東京都心でも見ることができるのだ。と、ここでひとつの疑問がわく。50cm以上の積雪が珍しくない金沢、会津若松で松吊りが必要なのは分かるが、数cmの積雪が年数回という東京都心で、果たして松吊りが必要なのだろうか。日比谷公園管理事務所に尋ねてみることにした。 
 
「暮れから正月にかけての寒い季節、冬の風物詩としてやっています。飾りと言ってもいいでしょう。東京都のあちこちの庭園で実施しています」
 
12~2月頃限定の松吊り、中央の支柱からきれいな円錐形にわら縄を張って作られる。一種の幾何学的造形物と言ってもよく、見る者に松に積もる雪を想像させる。季節を感じさせるという意味では、流行のクリスマスイルミネーションと同じ。違うのは風流であることと、電気代がかからないことか。がともかく、雪国と東京では松吊りの意味がまるで違うということが分かり、一件落着した。
 
公園内には紅葉の木々がまだたくさん残っていて、場所を選ぶと写真のように、松吊りと紅葉とを一緒に眺めることができる(左下はワラボッチという、防寒用のわら囲い)。秋の風景、冬の風景の共演であり、ここに積雪があると更によいのであるが、残念ながら、暫くは東京に雪の降る日はなさそうである。
 
(小埜佳典)

2006年12月20日

短歌と富士山の今

3rd_富士.jpg
 
「富士山って、いつも雪をかぶっているのかと思った」夏、ふもとから山頂まで黒い地面をあらわにしている富士山を見て、驚いてこう言った人がいるそうだが、確かに富士山の頂上といえば「白」のイメージが先行している。風景画に見かける富士も白い頂上が多いように思う。今年は10月7日に初冠雪を記録した富士山。現在、山頂は写真のとおり。中央は火口で、麓からは見えないが中まで真っ白、6月頃まで白色支配の世界となる。
 
文学の世界にも白い富士を詠うものが多い。最も有名なものは、百人一首にもある「田子の浦に うち出てみれば白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ」であろう。富士山頂の上空にかかる雲から、キラキラと輝く白い雪が山頂に降る風景。想像するとウットリする、素晴らしい短歌である。しかし残念ながら、これは想像の世界に過ぎない。富士山頂に雪が降るとき、山頂は雲に包まれてしまい、麓から頂上を見ることは難しい。
 
それでも見たい、と願うのであれば、雲の内側に入ってみてはどうか。富士山頂にいれば見られるのではないか。と考えてはみたものの、こちらもダメなよう。雪国生まれなら分かるだろうが、どんよりとした空を背景に降る大粒の雪は、白と言うより灰、あるいは黒と表現する方がピッタリくる。雪が白いのは、背景が青だったり、黒だったりするからである。
 
富士山頂の雪はまぎれもない現実。一方で、「富士のたかねに雪は降りつつ」は、全くの想像と言えそうである。
 
(小埜佳典)

2006年12月08日

東南海地震から62年

耐震偽装マンションの発覚などもあり、地震に対する防災意識が高まっているが、12月7日、東南海地震の発生から62年がたった。 
 
昭和19年12月7日に三重県志摩半島近海で発生した東南海地震、マグニチュードは7.9。関東大震災と同規模であり、震度5~7だったとされる愛知、静岡、三重の三県を中心に数千名規模の死傷者を出したにもかかわらず、今もってその知名度は高くない。地震発生は太平洋戦争のさなか。軍用機の重要生産拠点だった名古屋周辺に大きな被害があったことを、国内外に知られることを恐れた軍部が、報道や詳細な調査を禁じたためだという。残された記録は多くない。
 
震源から300km以上離れた長野県諏訪地方でも震度6を記録した。信濃毎日新聞社刊「戦争が消した諏訪"震度6"」の著者、宮坂五郎氏などが詳しい調査を行ったのは、戦後40年を経た昭和60年頃。諏訪での死傷者は多くないというが、同書に記された被災者の証言をひも解いてみると、当時繰り返し行われていた防空演習が、避難をスムーズにさせる結果につながり、被害を小さくとどめた一因だったことが見えてくる。
 
そういえば自分が小中学生だった頃、学校行事で年に2回は避難訓練があった。しかし、社会人となった後に訓練したのは数えるほど。今大地震が起きたら、果たして冷静に行動できるだろうか。
 
文部科学省発表の資料によると、今後30年以内に東南海地震が再度起こる可能性は60%程度。マグニチュード8.1程度だという。
 
(小埜佳典)

2006年12月02日

「日没の底」の季節

1st_日没.jpg
 
師走22日は冬至。ご存知のとおり一年で最も昼の時間が短い日だが、感覚的には冬至の頃より、12月はじめ、今頃の方が昼の時間が短く感じられる。
 
筆者は毎朝7時半の起床。お天道様は真冬でもとうに昇っているから、昼の始まりは季節を問わず7時半。一方、日没の時刻にはもちろん、まだ寝ていない。だから午前7時半から日没までが昼の時間ということになる。
 
上のグラフは、海上保安庁のホームページから東京の日没時刻を調べたもの。日没が最も早いのは冬至ではない。なぜかと言うと、詳しい説明は専門書に譲るとして、人間界の一日が24時間ピタリなのに対して、自然界の一日が季節によって24時間より少しだけ長かったり、短かったりすることに起因する。
 
グラフを見ると、今頃が一年で最も日没が早く、鍋底を這うがごとく日々の変化が小さい。一方、冬至を過ぎる頃には、日没は日ごと約1分ずつ遅くなる。このため、今頃が昼の時間が最も短いと感じられるのだろう。
 
ただしこれは、夜型人間にだけ当てはまる話。日の出前から活動している人々は、きっとまた違った風に感じているだろう。日の出の時刻は冬至を過ぎてからも、1月上旬に向けさらに4分ほど遅くなる。
 
参考:海上保安庁海洋情報部 日月出没時刻方位サービス
 
(小埜佳典)